神奈川県川崎市の塾|OKUNO塾のつぶやき

JR南武線 武蔵新城駅|毎日8:30更新

今の子は自分の世界を狭めすぎているのでは?

日頃から小中学生を指導していると、

決定的に昔と違うなぁと感じることがある。

 

それは自分の世界が狭いということ。

もう少しわかりやすく言えば、物事を知らない。

 

例えば、

男子でも野球もサッカーも見たことがなかったり、

漫画などの知識もなかったりする。

 

ちょうど、W杯の時期なので例に出すと、

たとえば、スペインと戦うということが

「やばいっ!勝てる訳ないじゃん!!」

なのか

「スペインってことはラッキー!」

なのかすら判断できない。

 

 

とにかく興味の対象が狭い。

かといって、特定のことにすごく詳しいわけでもない。

広く浅くでもなければ、狭く深くでもない。

 

 

狭く・浅くという印象がある。

 

 

なぜ現代の子どもたちがこのような状況に置かれているのか?

この原因をよく考えてしまう。

 

 

一つはスマホだと思う。

 

昔は、娯楽といえばテレビ。

家族で1台だったりすると、親が野球中継を見るから、

それをついつい見てしまうなんてことがよくある。

たとえ自分は興味がなくてもね。

 

すると、野球のルールはもちろん自然と身に付くし、

どのチームが強いだとか、4番が誰なのか?といった情報が

どうしても入ってしまう。

こうやって、生活の中から学んでいくのだ。

 

 

私の場合は、おじいちゃんおばあちゃんっ子だったこともあり

水戸黄門を見ていたり、相撲中継を見ていたりすることが多かった。

別に自分から見ようとは思っていないけど、

おじいちゃんが見ているから、自分も見てしまう。

 

こうやって入ってきた知識は、

あらゆる場面で使えることが実は多い。

 

 

例えば、相撲中継。

私が幼少期の頃は白鵬が強かった。

毎回土俵入り(今の子たちは土俵入りの意味すらわからないかも)するときに

『モンゴル・ウランバートル出身』とアナウンスがある。

 

毎回のように聞いていると、

あぁモンゴルというのは相撲が強いんだなぁとか、

ウランバートルという都市があるんだなぁというのが

誰に教わったわけでもなく自然と身についてしまう。

 

 

こういう経験っていうのは、

自分の趣味や興味とは異なる人と一緒にいるからこそ

起きると思っている。

 

でも、今はスマホの時代。

おじいちゃんの家に行っても、

興味のないテレビは見る必要がなくて、

自分だけはスマホをずっと見ていればいい。

 

年末に紅白歌合戦

興味のない演歌を聴く必要もない。

でも、自分の興味だけで生きていると、

知識が広がっていかない。

 

 

自分の世界を広げるためには、

自分の興味のないことなどにも触れる機会が必要だ。

そうする中で、「あれっ?興味ないって思っていたけど、意外に楽しいかも」

みたいなことが見つかってくる。

 

でも、それができない。

 

なぜなら自分の世界で生きているから。

 

しかも、

今はおじいちゃんおばあちゃんと生活する。

みたいなことも都心では少ない。

 

自分と年齢も違う人と接することが極めて少なく、

かつ、親との会話も少ないとなると、

もうどうやって学んでいけばいいのだろうか?

 

私は常々言っているが、

・部活の顧問

・習い事の先生

・おじいちゃんおばあちゃん

などなど、自分とは年齢が違う人や、趣味などが異なる人とは

できる限り話した方が良い。

 

そういう生活を通して、

自分の知識のキャパシティが広がっていくのだ。

 

 

私も、塾ではできる限りいろいろなことを話したいと思っている。

特に、休みの期間に旅行に行った話などは

生徒たちのためになると思い、色々と話のネタを探しながら旅をしている。

 

でも、一人で話せることは限りがある。

 

だから、いろいろな人と話をする中で

たくさんのことを吸収してほしい。

 

自分の世界を広げるためにも、

たとえ興味がなくても、多くのことに触れる機会を作ってほしい。