ニュースなどで大臣や政治家が英語でスピーチをしているのを聞くと、「この人は子どもの頃から英語をやっていたんだろうな」と感じることがある。発音がとても自然で、イントネーションも滑らか。
一方で、大人になってから学んだ人の英語は、どこか日本語の響きが残っている。
もちろん、それが良いとか悪いという話ではない。英語に限らず、コミュニケーションで一番大切なのは「内容」だ。どれだけ発音が完璧でも、言葉に中身がなければ意味がないし、逆に発音が日本語っぽくても、伝えたいことがしっかりしていれば、それで十分伝わる。
ただ、やはり「音の違いに敏感でいられる時期」というのは確かに存在するのだと思う。子どもの頃は、英語の発音を「音」として耳でまるごと覚える。一方、大人になってから学ぶと、どうしても「文字」から入ってしまう。
このあたりの話は、英語教育の現場でもよく出てくる。特にリスニング力や発音の自然さは、小さい頃にどれだけ英語に「触れていたか」で差が出るのだと思う。耳で英語を楽しむ時間があるかどうかは、あとあと大きな違いになる。
子どもにとっては音の体験が大切だ。リズム、イントネーション、音のつながり。こうしたものは、頭で理解するよりも先に、身体が覚える。
たとえば、英語の歌を聞いて自然に口ずさむ。好きな映画を英語で観て、聞こえたフレーズを真似してみる。それだけでも、耳が英語の「音」に慣れていく。それが後々、リスニング力やスピーキング力の土台になる。
そう考えると、小学生のうちに「英語の授業をがっつりやる」必要はなくても、英語に触れておくことはとても大事だと思う。それが、将来「英語ができるようになるかどうか」を決める最初の分かれ道なのかもしれない。