神奈川県川崎市の塾|OKUNO塾のつぶやき

JR南武線 武蔵新城駅|毎日8:30更新

すぐにものを与えない教育

駅の近くを歩いていると、

小学1年生くらいの男の子が「〇〇駅ってどこですか?」

と自分の前を歩いていた人に聞いていた。

 

周りには親御さんらしき人はいない。

おそらく鉄道が好きなのだろう。

手にはカメラを持っていた。

 

スマホは多分持っていないので、

人に聞くしかないのだろう。

でも、これってスマホが普及する前、

つまり2010年よりも前は当たり前の光景だった。

 

今は、なんでもスマホで調べられる便利な時代である。

一方で、自分で苦労して情報を調べる機会がかなり減った。

 

スマホは現在地からどうやって目的地まで行けばいいかを

数メートル単位の精度で教えてくれる。

この先3m歩いて、右に行く。

その後50m歩いて左に行く。

こういうことがスマホ1つでできてしまう。

 

果たしてこの便利さは良いことなのか?

 

私個人的な意見としては、

大人には便利なサービスだと思う一方で、

小6くらいまでの子には、むしろマイナス面が大きいと思っている。

 

小さい頃に、道に迷う経験だって

土地勘や地図を覚える上では必要なことだ。

迷ったら、どうにかするしかない。

そうして人に聞くという選択肢が出てくる。

 

 

問題に直面した後に、

どうやって対処するかを学ぶ機会は

できるだけ小学生のうちまでに身につけておいた方が良いだろう。

 

そういう経験を通して、得られるものが大きいと思うからだ。

 

 

フランスの思想家、ルソーは著書エミールの中で

「あなた方は、子供を不幸にするいちばん確実な方法は何であるかご存じだろうか。そ
れは、何でも手に入れるという習慣を子供につけることだ」と述べている。

今から250年以上も前の著書だが、

名著と呼ばれるものには、普遍的な知見がある。

 

あらゆるものを買い与えることは

一見良い母親・父親に見えるかもしれない。

でも、欲しいと思ったものをなんでも与えるという教育は

むしろ悪影響である。とルソーは述べている。

 

たまに、スーパーなどで

お菓子を買ってもらえず大泣きしている子どもたちを見ると、

その教育方針で良い!その子はこうやって成長していく。

と心の中で感じている。

 

スーパーの話も、今回の道を聞いていた子の話も

どちらも、共通していることは、

すぐにものを与えないということだ。

そうすることで生活の中から学ぶ機会を創出してあげる。

 

便利なものを与えるということは

自分で考える学びの場を奪うことにもつながる。

生活からだってたくさん学べるのだから、

やはり小さい頃は、たくさん参考書以外から学んでほしい。

 

不便の価値をぜひ見直したい。